ときは2006年11月23日、外には冷たい風が吹き始めていた。コンテスト発表会当日である。我々は大学を出て、会場にむかった。
和歌山市手平にある「和歌山ビッグ愛」にむけて車を走らせていた。24号線から国体道路にはいってしばらく走ると左のほうに「ビッグエッグ」が見える。広い駐車場に車を止めるとその反対側にめざす建物があった。
一階の大ホールとなる会場にはすでに数十名の人たちがたむろしていた。中学生、高校生といった若い人が多い。わたしたちは早速プレゼンの準備に取り掛かった。大学院生のO君がパソコンのセットをしてくれた。わたしたちの作品「数独(ナンプレ)パズルの解析ソフト」のプレゼンテーションは一番最初である。パワーポイントの作動を確認したあと一緒に来た四年生のN君、I君と談笑して開演のときを待った。
この場におよび徐々に何か場違いな雰囲気に気づき始めた。そしてその事は、壇上にあがり話し始めた時まさに実感となった。その頃、まだ数独人口は少なく、一部のパズルマニアの世界の話題であった。審査員の中に、そして会場のなかにナンバープレースあるいは数独の名前を聞いたことのある人が何人いただろうか。ましてやそのパズル解法のアルゴリズムの独創性に気づいた人がいただろうか?
休憩時間に同じ大学の審査副委員長を勤められているA教授とすこし談笑した。コンテストの趣旨や目的も吟味せず、思いつきで応募したことを詫びた。適当な学会や部会がわからなくて、とりあえず応募した次第ですと。発表も学生にやってもらおうと思っていたのに、固辞されて叶わなかった。そして、その年の卒業研究テーマとして、「数独を利用した思考過程シミュレーションモデル」は、結局誰も手をあげるものはいなかった。
コンテストは、苦い思い出となり、数独への興味は完全に萎え果ててしまった。